Part 10:犬とのスタンス(クリ家の場合)

スコットの場合
 スコットは自分で管理した初めての犬である。
学生の頃コリーがいたが、たまのお散歩を除き、ほとんど両親が面倒をみていたので、実際に飼ったと言えるのはスコットだと思う。

 スコットがウチに来たきっかけは空き巣である。越して間もない家での年末年始。友人家族と共にスキーに出かけて夜帰宅してみると、2階のベランダから空き巣に侵入されていた。
当時「影」は2歳。当時の同居人は出張がち。外国人専用の貸家に囲まれた我が家。夏と冬の休暇になると、ご近所はほとんど本国に帰ったり、旅行に行ったりで周囲はし〜んと静まり返ってしまう。
そんな環境の下で出された結論は『番犬を飼おう!』だった。

 新年早々「愛犬の友」を購入し、犬種やらブリーダーやらの下調べを始める。犬を飼うのは10年ぶりだから、忘れていることも沢山あってほとんど素人同然。同居人は実家では何代にもわたって犬を飼っていたが、特に世話をしたこともないので、こちらも素人同然の上、実際の管理に携わる気も無いので傍観者といっても過言ではなかった。

 番犬とは言え、しょっちゅう吠えていたのではご近所迷惑。「影」も小さいし、出来れば無駄吠えの少ない大人しい犬種にしようと、まず見にいたところはバセンジの犬舎だった。
(「泥棒よけの番犬」のはずが「大人しい」ことも重要なポイントに加えられた)
生まれて2ヶ月ほどの子犬たちのビロードのような毛並みに感激しながら母犬を見せてもらったのだが、外に繋がれた母犬は子供たちとは全然雰囲気が違い、日本犬の雑種のように見えてしまった。う〜ん。とりあえず考えますと言ってブリーダー宅を後にする。
(この時点で、かなり外観にこだわっていた。)

 「無駄吠えも無く、あまり手入れが大変でなく、神経質でない犬種は......。」と考えて今度はシベリアンハスキーを見に行くことになった。
当時ハスキーはまだあまり知られてなく、珍しい犬種として紹介されていた。キャッチフレーズは「体は大型犬ほど大きくなく、おとなしくて臭くないので飼い易い」だった。
本当は3ヶ月くらいのメスの子犬を連れて帰ってくるはずだったのに、やって来たのは8ヶ月近いオスのハスキーだった。どこで予定が狂ったのだろう.....。
(傍観者の「この子にしよう」の一言だったような気がする。)

 前置きが長くなってしまったが、スコットを我が家に迎えるための飼う側の認識は非常に甘かった。
(当時の家はとりあえず庭があり、スコットのスペースも当然庭と考えていたのだが、連れて帰ってきた日、我々はリードも犬舎も食器すら用意していなかった。)

 庭の日当たりの良い場所にフェンスを組み、犬舎(自作)を据え、彼のスペースが出来あがっり、番犬としての使命を果たしてもらおうと、彼の外暮らしが始まったが、早朝5時から始まるハスキー特有の遠吠えのお陰で、彼の寝室は玄関への変更を余儀なくされた。そして遠吠えもピタリとやんだ。

昼間は庭で日向ぼっこ。夜は玄関で就寝。朝晩は自転車で散歩。食餌は毎朝一回(成犬になるまでは2回)。たまにおやつ。シャンプーした直後は1階のみ入室可。これが彼の日課となったのである。

日常生活でのドライブはもちろんのこと、年2回の旅行には必ず同行し、いつも家族と一緒だった。あれっ?スコットって番犬じゃなかったの?

 スコットは自分で人間との距離感を持っている犬だった。室内にいるときでも、自分から何かしてくれと要求することはほとんどなく、ちょっと離れた足元で寝そべっていることが多かった。
結構クールなんだと思っていたが、実はとてもさびしがり屋で、留守番をさせてると、家の中にいても悲しそうに遠吠えをし(ご近所のメイドの談)、どうしようもなくなると私のにおいのついている布製品をかじっていたようだ。台フキンや、洗濯しようとしていた衣類が無くなって、排泄物の中から出てきたことが何度かあった。

 こうして漠然とした「番犬」の概念だけで我が家にやってきたスコットは、オーナーの認識不足から、いかつい「猛犬注意」の看板犬ではなく、良き家族の一員として大きな存在となっていったのである。が当然彼がいることで、ご近所に空き巣が入っても我が家はその後一度も被害をもたらされたことは無かった。
(あの家に盗るものは何も無いと先回入った盗人が言ったとか言わないとか......。)

クリスの場合
クリスはまだお腹にいる時から、スコットと共に暮らせる日を待ちわび、生まれたその日から毎週のように出かけてその成長をながめ、『ボーダーコリーを飼うにあたっての心得』なるものを、ブリーダーさんから教わった。
(それは、ボーダーコリーに限らず、犬を飼うための一般的な心得だったように思う)
しかし実際クリスが我が家に来たのはスコットが逝って20日後だった。スコットの死で受けた大きな痛手の穴にはまる暇もなく、ベビーギャングはやって来た。しかも2頭(ブリーダーさんが旅行に出るので、行き先の決まっていなかった同胎犬(♂)を預かったのだ)。

生後2ヶ月強で我が家にやってきた彼女は天真爛漫にいたずらをし、人間の傍らを好み、いつも好奇心に満ちた目で私をみつめていた。
彼女の好奇心を満たすために、私は一日中彼女に話しかけながら遊び、良いことと悪いことを言って聞かせた。
彼女は物覚えがよく、仕事中におもちゃを持ってきて遊びをせがんだ時に、「あとでね」と言うと、さっと部屋の隅に行って寝そべった。
(ただし、彼女の「あとで」の感覚は、私のそれよりかなり短いものだった。)

彼女と暮らしていくうちに、私の犬との関わり方が変化し始めた。
スコットの時は、静かな同居人といった感じであったのが、彼女はまさしく子供のような存在だった。
小さい頃は本当にじっとしていることが無く、常にかまってもらいたくて側に来ては催促をした。
夜は寝室で一緒に眠り、昼間は仕事の合間に一緒に遊ぶ。朝夕2回散歩に出かけ、途中でボールやディスク遊びをしながら服従訓練をする。スコットとの生活では考えられなかったメニューが増えた。
道具を使って犬と遊ぶことを知り、彼らの好奇心を利用しながら物を教える。すべてが初めてだった。そしてそれはまたとても楽しいもので、どんどんはまっていった。

当時私は家で仕事をしており、彼女と一緒にいる時間も長かったので、我が家の生活のペースもすぐ覚えた。
生活のペースとは、私が無理せず彼らと共存出来る最低限のルールだった。
朝起きてもむやみに私を起こしにこないこと。私が起きるまでは顔をなめないこと。
初めは目覚めると必ずベッドに飛び乗り、私の顔をなめまわしていたが、寝坊出来なくなるのはつらいので、なめなくなるまでじっと寝た振りを続け、あきらめたころに起き上がり、興奮してなめまわしたらまた寝た振りをするを繰り返すと、私が起きるのを静かに待つようになった。
雨の日は散歩に行かない。雨の日のトイレはバスルームで済ます。
当時1階に洗面所が無く、雨上がりで汚れてしまうと、2階のバスルームまで抱いて上がらなくてはならなかったので、腰痛持ちの私には負担が大きいことから雨の日の散歩は行かないことにした。そこで雨が降ると窓を開けて、「今日は雨だからお散歩は行けないわね。」と何度も言って聞かせながら、バスルームにトイレシーツを敷いてトイレのコマンドを連呼して習慣づけた。そのせいか、今でも雨の匂いをかぐと、彼らは玄関ではなくバスルームに直行する。
人間の食事時間は朝食のバナナ以外は決してまとわりつかない。
毎朝私はバナナを食べるのだが、1本では多いので「影」と半分ずつ食べていたところ、「影」がバナナを食べなくなってしまったので、クリスに半分食べてもらうことにした。そのため、バナナの香りがすると、テーブルの横でお余りが出るのをじ〜っと見ている。バナナ以外のものを食べている時は無視し、決して何もやらない。
(公園で人間のおあまりで焼き芋を食べた経験から、家で誰かが焼き芋を食べ始めると、みな反応してしまうし、外でも焼き芋屋さんのトラックを見るとその場を動こうとしないいやしんぼである)
犬を入れてはイケナイと決められた場所以外は極力どこへでも一緒に連れて行く。
人間社会や人に慣らすため、どんどん連れて出かけた。小さいころは子供が苦手だったので、小学校の登下校時には、わざわざ通学路を散歩し、「可愛い」と言ってくれた子供たちにはどんどん触ってもらい、お互い怖くないことを覚えてもらった。
(テニスコートにも連れて行って一緒に観戦していたら、テニスフリークになってしまい、生でもTVでもボールの行方は決して見逃さない子になったが、一方で、買い物中に工事現場の音にびっくりして逃走したことがあり、後の音響シャイの伏線になったのではと後悔の残る部分もある。)
家で大人しく留守番をする。
スコットの遠吠えのこともあり、ご近所に迷惑をかけないよう、短時間の留守番から、少しずつ時間を延ばし、テニスの試合で一日留守をしなければならない場合も吠えることなく留守番が出来るようした。
(留守の時間が予定をオーバーした時は、トイレが我慢できず、ソファの下にしまっておいたトイレシーツを自分で出してきて、その上に用を足していた。-嘘のようなホントの話)
子供だと思っていたクリスも2歳で母親になり、子供たちとの同居が始まると、犬としての一面も見せるようになってきたが、犬の中では常に自分が一番であることをアピールした。
(何をするにも「クリが一番ね、」と教えてきた私に原因がある)

年齢と共に、わがまま度は更にアップし、3頭にコマンドを与えても、彼女は「私はいいのよね」と自己判断することが増えた。

クリの子供たちの場合
クリが8割ヒトで2割犬だとすると、クリの子供たちは6割が犬で4割がヒトである。
彼らは常にクリの顔色を見、外に出れば他の犬たちや動物に興味を持ち、自分から私に何かを要求する回数はクリと比べて格段に少ない。と言って犬ばかりに気をとられているわけではなく、人間はいたって大好きで、「かわいい♪」の一言には両方ともメロメロで、知らない人の側でもピッタリよりそってかまってくれと強要する。
クリのように人間の子供に教育的指導をいれることもしないので、老若男女問わず、可愛がってくれればいつまででも撫でさせている。小さい子供に踏まれようが、ハンディキャップの子供にいやというほど耳を捕まれてもじっと我慢している健気なところもある。
彼らはクリ以上に自分が犬であることを認識しているようだ。
そんな彼らも他の子と別けて私と二人だけになると、のびのびと私に対して愛情を催促したりして、クリとは違った可愛さがある。
ハンスなどは特に誰の言うことでもよく聞くので、家人の受けも良い。一歩引いてみれば、クリより彼らの方が、普通に犬を飼う対象としては飼い易いと言えるだろう。

考察
私にとって犬たちは可愛い子供たちであることに違いは無いが、彼らが犬であることも頭の隅においておかなければいけないことを、「普通の人」(犬フリークではない)である家人と同居していることで最近特に感じるようになった。
私と犬たちとの関係が閉鎖された環境にある限りは問題無いが、第三者とのかかわり方の中で、「犬はこうでなければイケナイ」「犬はこうあるべきだ」という一般概念と、犬たちに対して「こうあって欲しい」と思う私個人の考え方が同じものであれば問題ないが、そうでない事もある。
例を挙げると、犬たちが挨拶に来る時は、自然と人の足元に寄りかかったり、鼻を手に触れようとするのだが、家人はそれを好まない。寄りかかれば「毛が付く」。鼻が触れれば「鼻水が付く」。別に犬が嫌いなのではない。可愛いとも思っているが、自分が汚れることは好まないのだ。
はなからそういうタイプの人と同居する私がイケナイと言われればそれまでであるが、それは同居してからわかったことだった。家人も「こんなに犬がのさばっているとは思わなかった」と同様のことを言っているのだからお互い様だろう。

彼らの生理的現象や、口がきけない分私が想像するしかない彼らの感情(擬人化している部分が多いが)を重視し、我慢できる人間を二番手に考えようとると私はたちまち反論されてしまう。何よりも人間を一番に考えるべきだと。
それが排泄や食餌の時間程度の軽いものから、命の重さまでの話になると、私にすればケースバイケースとしか言いようが無い事でも、家人は常に人間を優先すべきという信念を持っている。おそらくこれは一生平行線上にあって結論が出ないだろう。

犬は外に繋ぎ、一日に一回程度のエサをやり、雨が降ろうが、雪が降ろうが、暑い日ざしがさそうが、決まった場所で侵入者を監視する。それが犬の飼い方と考えている人(私の実家もそう考えていた)。
部屋の中で、寒くて凍えそうな時は暖房を入れ、暑くて死にそうな時は冷房をいれ、適度の運動と食餌、シャンプー。人との触れ合いを大切にし、病気は早期に発見し、人間の足元でまったりとした時を過させるという飼い方(今はこれに近い生活だが、抵抗派勢力の妨害にあうことも多い)。

犬たちが自分たちの置かれた環境をどう思って日々すごしているのかは、我々人間が想像するしかない。幸せなのか、不幸なのか。彼らを自分の身に置き換えて考えるしかないのである。が、前者の飼い方をしている人は、「犬」と「人」は違うものだから、「人」が「犬」の気持ちを思いやることすら問題外かもしれない。

文面から見れば、前者の飼い犬より後者の飼い犬の方が絶対幸せに違いない。が、前者の犬がその環境に不満を持たず(問題行動を起こさず)、飼い主に噛み付くことも無く、特に早死にでも無ければ、その犬の一生はさほど悪くなかったのかも知れない。「しつこくかまわれることもなく、僕は幸せだったよ」と言っているかも知れない。

書けば書くほど複雑で、何を言わんとしているのか不明瞭になってしまったが、犬とのスタンスを考えると、それは人それぞれで、その家のライフスタイルに合わせ決めていくしかない。もちろん他人に迷惑をかけないと言う大前提はあると思うが、あとは飼い主の出来る範囲で犬との心地よい生活が送れればよいのではないだろうか。

最後になってしまったが、一人の人間でも犬に対する考え方が変わっていくのだから、他人様ならなおさらのこと、人と犬の数だけ様々な関わり方があるに違いない。
だから犬を飼うことにおける「責任」は必要だが資格はいらないような気がする。自分以外の人間になるべく迷惑をかけないで(存在自体を否定されるとどうしようもないが.....)、ヒトと犬が共存・共生出来る社会になっていくよう日々の努力は必要とされるのだろうが......(自戒)。


2004年1月

「あんなこと、こんなこと」目次
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